デュナミスの備忘録

忘れっぽいデュナミスが忘れないように記しているという裏設定があります。ここでの内容は私個人の意見・見解です。

「虹色の戦争」の個人的な歌詞考察

こんにちは。

 

 

最近は、体調を崩しやすい体になっているデュナミスです。

 

 

今回は、前回の記事に引き続き、歌詞考察をしていきます。

 

 

本来ならば、セカオワでランキング形式にしたかったのですが、デュナミスがにわかすぎて数えるほどしかセカオワの曲を聴いていないんですね。

 

 

だから、今回は少々ライトに、「虹色の戦争」という曲について、「虹」をキーワードに歌詞考察していきたいと思います。

 

 

 

前提条件

 

今回は、考察をする前に、みなさんに1つ聞きたいことがあります。

 

虹は何色(なんしょく)でしょうか?

 


「7色」ってそんなの当たり前?

 

 

これが、国によっては6色とか5色とかあるらしいのです。

 

これは、虹の色というのは、言語によって区切られているという考え方で考えることができます。

 

色というのは、光の反射の差によって生まれます。

 

虹は、光の反射の加減が少しづつ異なっているので、赤色からだんだんと紫色になっていくのです。

 

この時の色の境界ってどこですか?

 

つまり、区切りかたによっては何百万色も色が登場するし、だんだん少しづつ変化をしている色を名前をつけてはっきりと区切るなんていうこと自体が非常に難しいことなんだとデュナミスは思います。

 

だから、虹の色の数は、使用している言語によって変化するのです。

 

言語というものは見え方まで変えてしまうんですね。

 

つまり、虹の色は言葉によって区切っている、もっというならば、世界は言葉によって区切られています。

 

区切るということは、細かいところは無視したり見えなかったりして表現されないということになります。

 

だから、言語というものは表現できる事項に限界があるのです。

 

言葉で区切ることによって、自分の見る世界を広げていこうとする考え方を言語論的転回というそうです。

 

もちろん、この捉え方は部分的な意味の捉え方ですので、本当の言語論的転回の意味はここからさらに発展させたものとなっています。

 

本当の言語論的転回について知りたければ、もっと正確な情報がグーグル先生から伺うことができるので、挑戦してみてください。

 

今回は、言語が色や世界を区切っているという考え方を虹に当てはめて、「虹色の戦争」の歌詞解釈をやってみたいと思います。

 

 

虹色の戦争の歌詞考察

 

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【基本情報】
発表年:2010年
作詞:深瀬慧
作曲:深瀬慧

 


花に声があるなら何を叫ぶのだろう 『自由の解放』の歌を世界に響かせているだろう 平和に耳があるなら何が聴こえるだろう 偽物の自由の歌が爆音で聴こえるだろう

 

声というのは言語ですね。

 

花が言語によって世界を切り取ることができたら、何をどのように見るのでしょうか?

 

多分、言語によって生じる不自由からの解放を歌っているのでしょう。

 

平和という実態のないものが言語を獲得したら、人間が歌っている偽りの自由の歌が聞こえてしまうのでしょう。

 

 

花が叫ぶ愛の世界で僕等は平和を歌っている 鳥籠の中で終わりを迎えた『自由』は僕になんて言うだろう

 

花が言語を持ったら、人間は言語というすでに区切られた狭い世界の中で、限られたことを歌っているにすぎないと言うのでしょう。

 

そのすでに区切られた狭い世界の中にある自由は僕らにどのようなことを言うのでしょうか?

 

 

生物達の虹色の戦争 貴方が殺した命の歌が僕の頭に響く The war of the rainbow color (虹色の戦争) 生物達の虹色の戦争 貴方が殺した自由の歌は貴方の心に響いてますか? The war of the rainbow color (虹色の戦争)

 

虹色の戦争というのは、言語で表現されたものとされないものの争いであり、それを虹という例が分かりやすいので、虹色が使われているという解釈になります。

 

人間が言語によって区切ってしまい、見捨ててしまった人間が表現していないモノの訴えが頭の中で考えてしまうんでしょうね。

 


虫に歌があるなら何を叫ぶのだろう 『平和の解放』の歌を世界に響かせてるだろう 自由に耳があるなら何が聴こえるだろう 偽物の平和の歌が爆音で聴こえるだろう

 

虫が言語を持ったら何を言うのでしょうか?

 

人間が区切ってしまい、見捨ててしまったものも見捨てなくて済む、平和な世界を作ろうと歌うのでしょう。

 

自由という実態のないものが言語を持ったら、何が聞こえるでしょうか?

 

人間がこれで世界のいろんなことを表現できている!と思い込んでいる偽物の平和の歌が聞こえるのでしょう。

 


虫が叫ぶ平和な世界で僕らは愛を歌っている 虫籠の中で終わりを迎えた『命』は僕に何て言うだろう

 

人間が全てを表現し、平和だと思っている世界で、人間は愛という言語では表現しきれないものを叫んでいるという矛盾を虫は指摘するでしょう。

 

限られた人間の世界だけで生きている表現されるべきだが表現されていないものは何て問いかけるのでしょうか?

 

 

生物達の虹色の戦争 貴方が殺した命の歌が僕の頭に響く The war of the rainbow color (虹色の戦争) 生物達の虹色の戦争 貴方が殺した自由の歌は貴方の心に響いてますか? The war of the rainbow color (虹色の戦争)

 

人間が殺した言語で表現できないと言って切り捨ててしまったものの訴えを考えてしまうのでしょう。

 

 

青色の空に神様がきて願いを1つ叶えるなら 花や虫は何を願うのだろう 青色の空に神様がきて願いを1つ叶えるなら 僕等の命の炎は消えてしまうのだろう

 

神様に先ほどの花や虫が願いを言うならば、きっと、人間の命とも言える(キリスト教的な立場で言うならば、神様が作った多種多様に存在する人間の)言語を消してほしいと願うのでしょう。

 

言語を消すことによって、この世界の区切られて切り捨てられてしまったさまざまなモノを見ることができ、これで人間に本当の自由や平和を見せることができると思うのでしょう。

 

 

"The war of the rainbow color" is the war the whole world knows and the whole world participate in. (『虹色の戦争』とは世界中が知っていて 世界中が参加している戦争である)

 

言語が世界を区切っていて、そこで切り捨てられたものがあるということは誰もが薄々とは感じていたことなんじゃないでしょうか?

 

 

"The war of human vs. living things except human" is the war the whole world "does not feel" even though the whole world "knows" (『人間と人間以外の生物の戦争』とは 世界中が『知っている』のに世界中が『感じない』戦争である)

 

人間と生物の最大の差は言語の有無であり、それは言語の有無によって生物の感じる世界と人間が感じる世界の差があることで、このことは世界中の人間は言語によって知っているが、これを人間が感じることはないという差の争いであると言っているのでしょう。

 

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数少ないLOVEさんのパート。デュナミスはここの部分が好きで、昔はここの部分の真似をカラオケでしていましたね。友達がFukaseを歌って。楽しかったなぁ……おっと、お話がそれました……

 


今回は、「虹色の戦争」を人間とそれ以外の生物の言語の有無による世界の見方の差による争いだと解釈しました。

 

このように、言語の限界を訴える歌詞が言語で書かれたというのは、言語を持つものへの訴えとしての唯一の手段であり、最大の皮肉でもあります。

 

言葉で表現できるものには限界があるということを言ってきましたが、これは必ずしも色といった実態のあるものばかりではありません。

 

感情という実態のないものは、言語によって規定されているのです。

 

でも、言語によって表現できない感情の差もあります。

 

友達に褒められた時、自分主導のプロジェクトが成功した時、好きな人に告白された時、道端で100円を拾った時、自分の研究がノーベル賞をとった時などなど、いろいろ嬉しい時はありますが、どれも同じ嬉しさですか?

 

どれも違いますよね。

 

ではなぜどれも「嬉しい」という言葉で定義できているのでしょうか?

 

それは、細かい部分を無視し、「嬉しい」という言語で区切っているからです。

 

この嬉しさの違いを言葉では失っているのです。

 

この言葉では表現できないものを言語のない花や虫が感じているとしたら、人間は言語のせいで感じることができず、自分の見ている世界に言語でバイアスをかけてしまっているのだと思います。

 

このように人間が言葉で断片的に世界を捉えてしまっていることへの皮肉を述べている歌という解釈が成立するのではないでしょうか?

 

 

もちろん、この曲を作詞したFukaseさんは世の中にある矛盾を歌っただけであるというようなことを述べていたので、今までのような解釈はきっと考えもしていないでしょう。

 

しかし、デュナミスの最近の生活での影響(もっと正確に言うならば、最近受けた授業から考えた)によっては、少々無理はありますが、こういう捉え方をしても良いと思います。

 

ネットでの先行研究では、純粋に歌詞の言葉の通りの解釈が多いので、たまにはこういうヘンテコ解釈があってもいいんじゃないでしょうか?

 

 

このように考えたことを忘れないように、この備忘録に記したいと思います。

 

 

 

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

 

 

 

過去の歌詞考察記事

 

 

dunamis4.hatenablog.jp

 ↑ポルノグラフィティの曲で歌詞考察をしてみました!

ハルイチさんの歌詞って奥深いんですよ!本当に!

1位は意外なあの曲です!ってマイナーすぎて知ってるかな?ってレベルですけどね…

 

 

dunamis4.hatenablog.jp

 ↑μ'sで歌詞考察をしてみました!

これまたマイナーな曲が多くなってしまったんですけど、マイナーな曲だからこそ、キャラクターにとらわれずに歌詞が良いっていう傾向があるんだと思います。

 

 

 

 

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